十大弟子を、身近に、今ではだれでも知っている。

本職の坊んさんが、今まで何をしとったんや、と

叱られているかに思えてならない。


東大寺長老 清水公照著 「しあわせを創る」より抜粋

舎利弗
シャリホツ
知恵第一
目連
モクレン
神通第一
迦葉
カショウ
頭陀第一
須菩提
スボダイ
解空第一
富楼那
フルナ
説法第一
迦旃延
カセンネン
論義第一
阿那律
アナリツ
天眼第一
優波離
ウバリ
持律第一
羅ゴ羅
ラゴラ
密行第一
阿難
アナン
多聞第一




十大弟子について

望 月 信 成

 インドにおいて西暦前五世紀の後半に新しい宗教を開発した釈迦牟尼(Sakyamuni)

は非常に多くの弟子を養成した。その中で代表的な僧侶を五百名選んで「五百羅漢」とよんでいるが、さらに傑僧を挙げて「十大弟子」と數える。この一々の弟子はそれぞれ一事に長じており、その勝れた才能は多くの弟子を越え、第一人者として崇拝されている。その十人の大弟子とは一、舎利沸、二、目?連、三、摩訶迦葉、四、阿那律、五、須菩提、六、富樓那、七、迦旃延、八、優婆離、九、羅?羅、十、阿難陀の十人である。この十弟子はそれぞれ行跡に特色があり、舎利弗は智慧第一と称し、仏陀の教法をよく理解し、無限の知識を持ち、第二の目?連は神通第一と称し、凡人の測り知ることのできないことを知り、第三の摩訶迦葉は頭陀第一と称し、三毒―貪・嗔・痴―を除く行法を行う第一人者であり、第四の阿那律は天眼第一といい、大衆の未来のことを知る能力があり、第五の須菩提は解空第一と称し、この空とは自我の実在を認める迷執と我と世界の構成の要素の恒存性と認める迷執との否定をいい、これを理解することの第一人者であった。第六の富樓那は説法第一と称し、弁説に勝れており、第七の迦旃延は論議第一といい、議論では何びとにも劣らない技能を持っていた。第八の優婆離は持律第一と称、戒律を修すこと第一者であり、第九の羅?羅は密行第一といわれ、綿密の行の第一人者であり、最後の第十の阿難陀は多聞第一と称せられ、よく仏の教法を聞持する第一の人であった。

 以上十大弟子は釈迦仏の教法の会得にそれぞれ第一人者として崇拝され、古来からその造像があって、礼拝されて来た。

 わが国にも奈良市興福寺に天平時代の乾漆造の名作が遺り、中国では唐時代末に活躍した禪月貫休が描いた画像が有名である。特に禪月の描いた象は十大弟子とも胡貌梵相に表わすをもって特色があり、異国の人を誇張して表現することに全力をあげ、意表外の異様な風貌、現実離れをした着衣、持物などを描いている。中国ではこれに倣って、各時代の十大弟子像を描いているが、ここに示す東大寺長老の清水公照筆の像もまたそれを踏襲して、異様な雰囲気の像が画面一ぱいに溢れている。


(元大阪市立美術館館長)